松岡洋右
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 – 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。アメリカへの留学経験があり、満州国では満鉄総裁として弐キ参スケの一人に数えられた。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に、代表的な外交官ないしは外務大臣として関与。敗戦後、極東国際軍事裁判の公判中に病死した。外交官同士のジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は血縁のない甥にあたる。
1880年(明治13年)3月4日、山口県熊毛郡室積村(のち光市室積)にて、廻船問屋の四男として生まれる。
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生年月日 | 1880年3月4日 |
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出生地 | 日本 山口県熊毛郡室積村(現・山口県光市) |
没年月日 | 1946年6月27日(66歳没) |
死没地 | 日本 東京都文京区 |
出身校 |
明治法律学校(現・明治大学) オレゴン大学 |
前職 |
外務省官僚 南満州鉄道理事・総裁 |
所属政党 |
(立憲政友会→) (政党解消連盟→) 無所属 |
第63代 外務大臣
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内閣 | 第2次近衛内閣 |
在任期間 | 1940年7月22日 – 1941年7月18日 |
第18代 拓務大臣
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内閣 | 第2次近衛内閣 |
在任期間 | 1940年7月22日 – 1940年9月28日 |
衆議院議員
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選挙区 | 山口2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1930年2月21日 – 1933年12月28日 |
反応