林森

林 森(りん しん)は清末民初の政治家。中国同盟会以来の古参の革命派人士で、中国国民党では西山会議派に加わった右派として知られる。後に国民政府で長く主席をつとめた。字は子超、号は長仁

商人の家庭に生まれ、1877年(光緒3年)にアメリカの教会が運営する培元学校に入学し、1881年(光緒7年)には鶴齢英華書院に入学した。卒業後の1884年(光緒10年)に台北の電報局に勤務し、台湾割譲後福州へ移った。

1902年(光緒28年)に上海の税関である江海関に異動した。その傍ら革命運動に身を投じ、福建学生会を組織し、そして孫文(孫中山)が1905年(民国31年)に中国同盟会を組織すると、林と学生会の構成員もこれに加入している。1909年(宣統元年)、江西省の九江関に異動し、呉鉄城らと革命派の宣伝や秘密の武装組織設立、他省の革命派との連携に従事した。

プロフィール
出生: 1867年3月16日
(清同治6年2月11日)
死去: 1943年(民国32年)8月1日
中華民国(国民政府)重慶市
出身地: 清福建省福州府閩侯県尚幹郷
各種表記
繁体字: 林森
簡体字: 林森

拼音:

Lín Sēn
注音二式: Lín Sēn
和名表記: りん しん
発音転記: リン セン
ラテン字: Lin Sen
テンプレートを表示

反応