林鳳岡

林鳳岡

江戸時代前期から中期の儒学者。名は又四郎、春常、信篤、字は直民、号はほかに整宇。父は林鵞峰(がほう)、祖父は林羅山という林家のサラブレッドとして江戸に生まれ、兄が早世したことにより林家を継いだ。4代将軍・家綱から綱吉、家継、家宣、吉宗と5代にわたって幕府に仕えた。特に5代・綱吉と8代・吉宗からの信任あつく、1691年(元禄4)にはそれまで上野忍ヶ岡にあった林家の学問所が湯島に移され「湯島聖堂」(のちの昌平坂学問所)として竣工、それにあわせ鳳岡は大学頭に任命された。また、この時、蓄髪の命も出された。これはそれまで僧形を命じられていた儒学者が、武家階級社会のなかで武士と同列に扱われるようになったことを意味する。歴代将軍に仕えた鳳岡は、幕府の文書行政をはじめ朝鮮通信使の応接、『武徳大成記』など幕府の編纂事業に従事した。門人の育成にも尽力し、儒学の発展と振興に大きく貢献した。著書に『鳳岡学士集』など。

反応