柴田不二男
柴田 不二男(しばた ふじお、1921年12月26日 – 2000年9月22日)は、日本の競馬騎手、調教師。
1947年より国営競馬(後の日本中央競馬会)で騎手として活動、1956年にミスリラで桜花賞に優勝した。1959年に騎手を引退して調教師となり、1990年代半ばにダート競走で活躍したライブリマウントなどを管理した。また、1965年の東京優駿(日本ダービー)を前にした突然の金銭トレードで知られるダイコーターも日本ダービー出走時まで管理していた。1997年に定年引退。
1921年、青森県に軍馬の生産を兼ねる農家に生まれる。近隣の出身であった騎手・佐々木安の姿に憧れて騎手を志し、1936年から1940年までは上北町の東北牧場に乗り役として務めていた。その後、同郷の新堂捨蔵厩舎(京都競馬場)に騎手見習いとして入門。当時新堂厩舎には数多くの人材がいたことから、同場の武田文吾厩舎に預けられた。このため、騎手・調教師の系統譜では柴田は武田門下となっており、その一番弟子として記録されている。
1941年末の太平洋戦争勃発に伴い徴兵され、朝鮮、台湾、満州と移動を続けた。軍では馬の管理を任され、輸送の指揮を執ることもあったという。
騎手時代の柴田(1956年頃)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 青森県 |
生年月日 | 1921年12月26日 |
死没 | 2000年9月22日(78歳没) |
身長 | 152cm |
体重 | 51kg |
騎手情報 | |
所属団体 |
国営競馬 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
新堂捨蔵・京都(1940年 – 1948年) 松田由太郎・京都(1948年 – 1950年) 武田文吾・京都(1950年 – 1953年) 武平三・京都(1953年 – 1955年) 増本勇・京都(1955年 – 1958年) |
初免許年 | 1947年 |
騎手引退日 | 1958年 |
重賞勝利 | 2勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2077戦318勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1959年 |
調教師引退日 | 1997年2月28日(定年) |
重賞勝利 | 26勝(中央22勝/地方4勝) |
通算勝利 | 8257戦619勝(中央のみ) |
経歴 | |
所属 |
中京競馬場(1959年 – 1971年) 栗東T.C.(1971年 – 1997年) |
反応