横山やすし

横山やすし

漫才ブームの波に乗り「天才漫才師」と呼ばれた漫才師。本名は木村雄二(ゆうじ)。「やっさん」の愛称で知られる。長男は俳優の木村一八。西川きよしとのコンビ漫才は爆発的人気を呼び、「やすきよ漫才」として昭和を代表する漫才師となった。代表的なギャグは、「毎度!横山や!」「怒るでしかし!」「メガネ、メガネ…」など。少年時代からお笑いの才能を発揮し、15歳のときに同級生と「堺伸スケ・正スケ」を結成し、デビュー。相方の廃業後、横山ノックの内弟子となり「横山やすし」の芸名を与えられた。そして、1966年に西川きよしと「やすしきよし」を結成しデビュー、1970年には第5回上方漫才大賞を受賞し、漫才ブームの到来とともに絶大な人気を得るようになった。しかし、「最後の破滅型天才芸人」ともいわれるように短気な性格ゆえトラブルやスキャンダルも多く、あまりの不祥事の多さから1989年には吉本興業から解雇され、芸能界を追放されてしまった。その後、芸能界に復帰しVシネマなどに出演する一方、参議院選挙に出馬するなどしたが往年の勢いを取り戻すことはできなかった。そして、1996年1月21日、大阪府摂津市にある自宅にてアルコール性肝硬変を死因として急逝。まだ51歳の早すぎる死であった。

反応