武蔵石寿

武蔵石寿

江戸時代後期の旗本、本草学者。幼名は釜次郎のち孫左衛門、名は吉恵(よしとき)、号はほかに翫珂亭(がんがてい)。現在の東京都新宿区砂土原町で旗本・武蔵十郎右衛門義陳(よしのぶ)の子として生まれた。25歳で家督を継ぐと幕臣として甲府勤番などを勤めた。本草学者として知られる石寿だが、本草学者として活動を始めるのは還暦を迎え現役を引退してのちのこと。引退後、戸山ヶ原(現・新宿区戸山)にて趣味の世界に没頭するようになった石寿は、富山藩主・前田利保を中心とした本草学愛好会「赭鞭会(しゃべんかい)」のメンバーとなり、本格的に本草学者としての活動を始めた。石寿の業績として特に名高いのが長年の貝の研究をまとめた『目八譜(もくはちふ)』である。これは石寿が全国で採集した990種以上の貝を分類・解説した図鑑で、現在知られている貝のうち150種ほどがこの図鑑で命名されたもの。精密な図は絵師・服部雪斎が手がけた。同書は日本博物学史上でも白眉ともいえるもので、当時の世界的に見ても非常に優れたものであった。石寿の著書はほかに『風鳥韻呼類(ふうちょういんこるい)』『甲介群分品彙(こうかいぐんぶんひんい)』など。

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