沈友子正しんゆうしせい

沈友子正しんゆうしせい

沈友、字を子正といい、呉郡の人である。沈友が11歳のとき、朝廷は華歆に各地を巡らせて、政治教化がよく行われているかどうかを視察させた。華歆は沈友と会って、その非凡さを知り、「沈郎よ、車に乗って一緒に話そう」と呼びかけた。沈友は後退りして「君子が好を結ぶ場合、宴を開き礼の定めに従います。先生が巡察をなさっているのは、先生の教えを助け補い、風俗を整えるためでございましょう。それなのに礼の手続きをふもうとなさらない。これでは仁義や聖道の衰微と崩壊に拍車をかけるものでございます」と答えた。孫権は礼を厚くして沈友を迎えた。沈友は王霸の方略や目前の急務について論じ、孫権は容儀を正して耳を傾けた。また、荊州は併合すべきだと陳じ、孫権もその計に従った。沈友は厳しい姿勢で朝会に臨み、妥協を許さない論陣を張ったため、無能な臣下に「謀叛を企てている」と密告された。ある日、孫権が官吏を大勢集めて開いた会合の席で、沈友は孫権のやり方を非難する意見を述べた。孫権は怒って「きみが謀叛を企んでいると言う者がいるぞ」となじると、沈友はもうどうにもならないと知って「主上が許におられるというのに、それを蔑ろにする心を持つ者が、謀叛していないと申せようか」とやり返した。孫権は沈友が自分の命令どおりに動かないであろうと考えて、ついに殺害した。享年29歳。弱冠して広く学問を修め、多くの物事に精通し、文章も巧みだった。これに加えて武事を好み、『孫子兵法』に注を付けた。また饒舌に秀で、太刀打ちできる者がいなかった。人々はみな、筆の妙、饒舌の妙、刀法の妙の三つはずば抜けていると称した。

反応