沢村栄治

沢村栄治

日本プロ野球黎明期に活躍した大投手。
160キロともいわれた速球を武器に、プロ野球史上初のノーヒットノーラン、MVP選出など輝かしい実績を残す。1937年春リーグの成績は24勝4敗、防御率0.81。
沢村栄治の活躍でもっとも語りぐさになっているのが、1934年に行なわれた大リーグ選抜チームとの日米野球である。弱冠18歳ながら5試合に登板(4先発)。11月20日の試合では、伝説的な大リーガたちを相手に、1失点9奪三振とほぼ完璧に押さえ込んだ。ちなみに、唯一の失点はニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグによるホームラン。
その後、徴兵により投手の生命線である肩を壊してしまい現役引退。3度目の徴兵で、乗船していた輸送船ごと海に沈み戦死。
沢村の功績を讃え創設された「沢村栄治賞」は、現代でも投手に贈られる最高峰の賞となっている。

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