河田槌太郎
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 – 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
北海道上川郡東旭川村(現旭川市東旭川町)出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。
1936年(昭和11年)5月、支那駐屯軍高級副官となり日中戦争に出征。1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し北支那方面軍高級副官に転じた。1938年(昭和13年)3月、歩兵第44連隊長に就任し満州に赴任。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進級し独立混成第10旅団長となり、済南に駐屯し再び日中戦争に従軍した。
1941年(昭和16年)7月、近衛混成旅団長に転じた。1943年(昭和18年)6月、近衛第2師団兵務部長に就任。第16独立守備隊長を経て、1943年11月、独立混成第26旅団長となり、スマトラ島の守備を担った。1944年(昭和19年)6月、陸軍中将に進み、同年7月、罷免された佐藤幸徳前師団長と交代し第31師団長に就任。イラワジ会戦などで苦戦を強いられた。
1945年10月、ビルマにおいて第17インド師団長A・W・クローサー少将へ軍刀を手渡す河田槌太郎中将
|
|
生誕 |
1889年(明治22年)8月20日 日本、北海道 |
---|---|
死没 | 1964年(昭和39年)2月12日 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1911年(明治44年) – 1945年(昭和20年) |
最終階級 | 陸軍中将 |
反応