浦山桐郎

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浦山 桐郎(うらやま きりお、1930年12月14日 – 1985年10月20日)は、昭和期の日本の映画監督である。

兵庫県相生市に生まれる。出産時に母を亡くし、実母の妹が継母になった。父(浦山貢)は歌人としても有名で、播磨造船(現・IHI)に勤めるかたわら、相生市歌を作詞した人物である。

高校3年生のときに父が謎の自殺をしたので、母の郷里の名古屋に移る。旧制姫路中学校(現 兵庫県立姫路西高等学校)を経て、旧制姫路高等学校から名古屋大学文学部仏文学科を卒業。

松竹の助監督応募に募集し、筆記試験では高得点をとるが、身体検査でおとされる。この時、大島渚は合格し、山田洋次はおちる。その時の試験官だった鈴木清順に誘われ、日活の入社試験を山田と共に受け、不合格となり、山田は合格する。しかし、山田が松竹に補欠合格したため、日活に補欠合格することができ、1954年に助監督として入社。川島雄三、今村昌平らの監督につく。1962年、早船ちよ原作、吉永小百合主演の『キューポラのある街』で監督デビューする。鋳物の町に暮らす貧しい若者の生き方を描いたこの作品は、日本映画監督協会新人賞、キネマ旬報ベストテン第2位など高い評価を受けた。

読売新聞社『週刊読売』1月27日号(1963)より
生年月日 (1930-12-14) 1930年12月14日
没年月日 (1985-10-20) 1985年10月20日(54歳没)
出生地 兵庫県相生市
国籍 日本
職業 映画監督
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