湯恩伯
湯 恩伯(とう おんはく)は、中華民国の軍人。国民革命軍の軍人として様々な戦役で活躍、高級指揮官となったが、日中戦争・国共内戦では多くの惨敗を喫している。最終階級は中華民国陸軍二級上将。旧名は克勤。
初めは旧学を学び、1916年(民国5年)に浙江省立第七中学に入学した。しかし、まもなく杭州体育専科学校に転じ、1920年(民国9年)に卒業して浙江軍に加入した。
その後、湯恩伯は日本に留学し、1922年3月、明治大学法科に入学している。1924年(民国13年)、資金不足もあって帰国したが、浙江軍第1師師長陳儀から資金援助を受けることができた。再度留学した湯は陸軍士官学校第18期砲兵科に入学し、1927年夏に卒業している。この経緯もあって、湯は陳を恩師として崇めることになった。
『最新支那要人伝』(1941年)
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プロフィール | |
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出生: |
1899年9月20日 (清光緒25年8月16日) |
死去: |
1954年(民国43年)6月19日 日本東京都 |
出身地: | 清浙江省金華府武義県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 湯恩伯 |
簡体字: | 汤恩伯 |
拼音: |
Tāng Ēnbó |
和名表記: | とう おんはく |
発音転記: | タン エンボー |
ラテン字: | T’ang En-po |
反応