火野葦平

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小説家。本名は玉井勝則。旧制小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)在学中に文学を志すようになり、早稲田大学英文科に入学、大学中退後は家業を継いでいた。1938年、出征前に書いた小説『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞し一躍注目を集めるようになる。その後発表した『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』のいわゆる「兵隊三部作」がベストセラーとなり人気作家となった。戦後、戦犯作家とされ公職追放を受けたが、追放解除後再び筆をとり、故郷の若松にある「河伯洞」と東京の「鈍魚庵」を飛行機で往復しながら精力的に作家活動を行い、自伝的長編『花と竜』や『革命前後』など多数の作品を世に送り出し流行作家の地位を確立した。しかし、1960年1月24日、自宅でもある「河伯洞」2階の書斎において睡眠薬自殺を図り自らその命を絶った。残されていたノートには「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。『真珠と蛮人』が絶筆となった。火野が住居として書斎として使用していた「河伯洞」の名は、河童をこよなく愛していた火野が命名したもので「河童のすみか」という意味。なお、北九州市若松にある若松市民会館内に火野葦平資料館があり、書斎が復元されている。

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