片岡篤史
片岡 篤史(かたおか あつし、1969年6月27日 – )は、京都府久世郡久御山町出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)・コーチ、野球評論家、タレント。芦屋大学で客員教授を務めていた。
中学校時代はシニアリーグの出身で、後にPL学園で同学年のチームメイトとなるボーイズリーグ出身の立浪和義とは試合をしたことがなかった。シニアでは有名な強打者であり、「京都の怪物」の異名をとっていたが、PL学園時代は体は大きいが要領が悪く、洗濯機を奪い合う競争にもいつも負けていた。同期の1年生たちが先輩たちのユニフォームの洗濯を終えて眠りをむさぼる深夜、ようやく片岡は洗濯機に先輩のユニフォームを突っ込んでうなだれているという有様だった。そんな片岡の様子を、立浪は「いつか、寮から逃げ出すのではないか」とずっと心配していたという。
高校2年の秋の大会で片岡は一応レギュラーのポジションを獲ったが、まだバッティングに安定感がなく、期待通りに打つことはできなかった。片岡は左打者であるため、相手チームのエースが左投手だとスターティングメンバーから外されたりして悩んでいたという。大阪桐蔭高校の1年生には、後に立浪とともに中日ドラゴンズでプレーした左のエース・今中慎二がいた為、彼が出てくると先発から外された。ここという大一番で出番がないのが片岡の課題だった。そんな片岡に何とかレギュラーに定着してほしいと、立浪は寮で同じ部屋になったという。秋が深まり寒さが厳しくなった時期、「悩むくらいなら、毎朝一緒に落ち葉掃きをしないか!」と立浪から提案され、毎朝5時半に起きて約1時間、グラウンドの周りの落ち葉を掃除し続けた。最初、片岡は立浪から起こされてもなかなか布団から出ようともしなかったが、日を重ねるにつれて片岡も自分から起き出すようになり、立浪曰く「晴れやかな気持ちで一日が始まる快感を知ると、最初の眠気にさえ勝てば、むしろ楽しみになる」ほどとなり、落ち葉がとうとう落ちなくなるほどまで続けられたという。この落ち葉掃きの成果かどうかはわからないが、春になって片岡のバッティングはめきめきと良くなり、片岡はすっかり不動のレギュラーとなった。
阪神一軍ヘッド兼打撃コーチ時代
(2018年5月12日、マツダスタジアムにて) |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府久世郡久御山町 |
生年月日 | 1969年6月27日(50歳) |
身長 体重 |
188 cm 92 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 三塁手、一塁手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト2位 |
初出場 | 1992年4月4日 |
最終出場 | 2006年10月12日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴
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コーチ歴
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反応