王謀元泰おうぼうげんたい

王謀元泰おうぼうげんたい

王謀、字を元泰といい、漢嘉郡の人である。劉璋時代、巴郡大守となり、帰還して州の治中従事となった。214年、劉備は益州を平定し、牧を兼任した際、王謀を別駕とした。219年、劉備は漢中王となると、荊楚の名族で零陵出身の頼恭を太常に、南陽出身の黄柱を光禄勲に、王謀を少府に起用した。220年、許靖、諸葛亮らと共に、劉備に即位するよう願う上奏文を奉呈した。223年、関内侯の爵位を賜り、のちに頼恭に代わって太常となった。後年、大将軍の蔣琬が張休に「漢嘉郡の先輩に王元泰という者がいたが、現在彼のあとを継ぐ人物は誰か」とたずねると、張休は「王元泰ほどの者は州でもあとを継ぐ人物はおりません。まして私の郡では、とても、とても」と答えた。彼が重んじられていたのは、これほどのものであった。陳寿の評によると、動作は礼にかない品行が正しかった。しかし、王謀の事跡が伝わってないため、伝が作られなかった。『三国志演義』では、劉備の即位時に名前が登場しているのみである。

反応