甲木清実

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零式観測機に搭乗し、南方戦線で戦果を挙げた。実戦部隊では零式観測機を皮切りに幾多の機種に搭乗した。各地を転戦しつつ太平洋戦争を生き延びた。

1919年(大正8年)4月10日、福岡県三潴郡蒲池村大字東蒲池(現:柳川市東蒲池)で生まれる

1938年(昭和13年)6月、海軍佐世保海兵団に入団。
1941年(昭和16年)5月、第54期操縦練習生を卒業。同期生に山崎市郎平(撃墜数14)。二座水上機の操縦員となる。鹿島海軍航空隊、館山海軍航空隊、博多海軍航空隊での勤務を経て、水上機母艦千歳乗組となる。乗機は零式観測機。

1942年(昭和17年)1月11日、セレベス島北部のケマで上陸支援中、オランダ軍のPBY飛行艇を1機撃墜。同年9月、千歳の飛行機隊はR方面航空部隊に編入。甲木もショートランドに移動、ガダルカナル航空戦に参加。10月頭より日の出、日没時の哨戒任務に当たり、10月3日、艦爆10機が来襲すると、うち3機を編隊長機とともに追撃し、1機を撃墜。翌日10月4日午前4時45分、黒丸直人中尉指揮の千歳飛行機隊第2小隊2番機としてYI-23号機にて水上機母艦日進ほかの輸送船団を護衛中、B-17爆撃機5機と遭遇、その指揮官機を体当たりで撃墜。甲木(当時の階級は一等飛行兵)と後席偵察員寶田三千穂二等飛行兵曹(昭和18年1月27日戦死)は駆逐艦秋月に救助された。甲木と寶田は本件により10月10日付で千歳艦長古川保大佐から褒状を授与され、特別善行章一線も付与される

12月、艦爆16機、F4F 10機、P-40 12機が飛来し、甲木ら零観6機と交戦。甲木と寶田は艦爆の編隊を襲撃し、撃墜2(うち不確実1)を記録する

反応