畑中健二
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) – 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
鈴木貫太郎内閣のポツダム宣言受諾決定(日本の降伏)に抗議する一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が企図したクーデター未遂事件(宮城事件)の首謀人物の一人である。決起は叶わず、玉音放送直前の8月15日午前11時過ぎに二重橋と坂下門の間の芝生上で椎崎二郎とピストル自決した。
生誕 |
1912年3月28日 日本 京都府京丹波町 |
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死没 |
日本 東京都麹町区 |
1945年8月15日(33歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1934年 – 1945年 |
最終階級 | 陸軍少佐 |
反応