相楽総三

相楽総三

赤報隊隊長。
天狗党の乱などに加わった後、西郷隆盛や大久保利通と交流を持つ。1867年、大政奉還により幕府討伐の大義を失っていた薩摩藩・西郷隆盛の命により、浪士隊を結成。倒幕運動という名の放火・略奪などを行なう。
これは幕府側への挑発が目的であったが、庄内藩の薩摩藩邸を焼討を誘発し、西郷の作戦は見事に成功。結果的に相楽総三らの行為は、鳥羽・伏見の戦いのきっかけを作ったといえる。
戊辰戦争が起こると、西郷の命により赤報隊を結成し、相楽は一番隊隊長となる。
相楽は自らが建白し、太政官にも認められた年貢半減令を掲げて進軍するが、新政府の方針転換により、赤報隊が偽官軍とされてしまう。
相楽総三は新政府に処刑され、その生涯を終える。

反応