真木和泉

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清河八郎と並ぶ尊王攘夷のアジテーター。また煽動するだけではなくプロデューサーとしてさまざまな計画を立てる。もともとは神官。名は保臣。
藩在籍時は、下級武士や神職、村の役人層の子弟を相手に尊王論にもとづく王政復古策を説き、志士を育てた。
久留米藩脱藩後は、薩摩藩とともに活動。島津久光の藩兵を率いた上洛では、大久保利通らとともに真木和泉も中心人物として計画。
上洛後は寺田屋事件で捕らえられて幽閉されるが、釈放後に再度上洛。
当時、京都の政局を動かしていた長州藩と連携して、孝明天皇の大和行幸を画策するなど、その能力をいかんなく発揮していた。
しかし、薩会同盟による政治クーデター(八月十八日の政変)により状況が一変。中央政界から排除された長州藩士とともに、真木和泉も長州に逃れる。巻き返しを狙った軍事行動(禁門の変)は失敗に終わり、長州藩士とともに天王山で自害。

反応