真田幸隆

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信濃国小県郡真田の領主で武田氏の家臣。真田昌幸の父であり、真田幸村の祖父でもある。
幼名は次郎三郎。通称は源太左衛門、弾正忠。幸綱とも名乗った。号は一徳斎。あだ名は「攻め弾正」「鬼弾正」。信濃国小県郡の名族・海野棟綱の子といわれるが諸説あり定かではない。
1541年、海野平の合戦において真田幸隆は村上義清に敗れ上野国の長野氏を頼って逃れた。その後、信濃への進出を図っていた武田氏に臣従、武田軍の信濃先鋒衆筆頭として活躍し、村上義清に奪われた旧領を回復した。1559年、主君・武田信玄が出家すると幸隆もこれに準じて剃髪し一徳斎と号した。
武田信玄からの信任あつかった真田幸隆は、上杉謙信との川中島の戦いでは常に先鋒を務めたほか、1563年の岩櫃城攻略、1565年の獄山城攻略、1567年の白井城攻略などあまたの戦いで武功を挙げた。
だが、病のため幸隆は家督を長男・信綱に譲ると隠居、1574年6月8日、戸石城で病没した。

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