石川隆彦
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石川 隆彦(いしかわ たかひこ、1917年(大正6年)5月15日 – 2008年(平成20年)6月9日)は日本の柔道家(講道館9段)。
戦前から戦後にかけて昭和天覧試合準優勝、第2回・第3回全日本選手権優勝等の成績を残し、晩年は米国で柔道普及を行った。
柔術無双流の免許皆伝者であり当時講道館柔道3段[注釈 1]の石川文八を父として、香川県神田村(現・三豊市)に生まれる。父が飛島組の土木技師であったため長野県に転居し、そこで入学した長野県飯山中学の在学中に3段まで取得。日本大学・国士舘専門学校で修業し、国士舘では主将を務めた。5段位で卒業するとすぐに国士舘専門学校の助教授に就任し、1940年の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会では事実上の日本一決定戦となる指定選士の部に出場して木村政彦と決勝を争ったが、緊張で固くなった石川は一方的に攻められて完敗を喫した。
打倒・木村を掲げて修行に励んだ石川は大外刈や一本背負投、内股等の立ち技に一層の磨きをかけたほか、世に“常胤流”と知られた小田常胤9段に寝技を学び、日中戦争の終戦に伴い満州からの引き上げ後は警視庁の柔道師範となった。
1949年全日本選手権で木村政彦(右)と同時優勝
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基本情報 | |
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ラテン文字 | Takahiko Ishikawa |
国 | 日本 |
出生地 | 香川県山本町 |
生年月日 | 1917年5月15日 |
没年月日 | 2008年6月9日(91歳没) |
選手情報 | |
階級 | 男子 |
段位 | 九段 |
反応