福田啓二

福田啓二

福田 啓二(ふくだ けいじ、1890年(明治23年)12月1日 – 1964年(昭和39年)3月29日)は、日本の造船工学者、海軍軍人。栄典は、海軍技術中将正四位勲二等(旭日重光章・瑞宝章)。

福田馬之助海軍造船中将の次男。東京府東多摩郡中野村(東京都中野区)生まれ。旧制一高を経て1914年(大正3年)、東京帝国大学造船科卒業。海軍中技師(中尉相当)任官。1920年(大正9年)から1923年(大正12年)まで英国駐在。グリニッジ王立海軍大学(英語版)に学ぶ。造船中佐時代はロンドン海軍軍縮会議のため半年間英国出張した。

1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)にかけて、艦政本部第四部基本計画主任として大和型戦艦の設計に携わる。1940年(昭和15年)、海軍造船中将、翌年に艦政本部第四部長に就任し、東京帝国大学工学部教授を兼任した1943年(昭和18年)艦政本部技術監。

第二次世界大戦終結後は、チャーチル会に属して大和など戦艦の油彩画や素描を描き、晩年には戦艦建造に関する執筆もおこなった。

生誕 1890年12月1日
死没 (1964-03-29) 1964年3月29日(74歳没)
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1914年 – 1945年
最終階級 海軍技術中将
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