福田良三
福田 良三(ふくだ りょうぞう、1889年(明治22年)11月1日 – 1980年(昭和55年)3月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
熊本県玉名市出身。旧制熊本県立玉名中学校より海軍兵学校第38期入校。入校時成績順位は150名中第122位、卒業成績順位は149名中第50位。
福田は海軍大学校甲種課程修了後も艦船乗組ばかりで、本省勤務や在外公館駐在勤務の類が全く無く、特に目立った経歴は見出せない。海軍中佐に任官した頃から中国方面の勤務が多くなる。昭和14年に海南島根拠地隊司令官に就任した際に、同島の治安状態が極めて悪く、高級士官が狙い撃ちされ作戦遂行への懸念から、周囲が猛反対する中で指揮官先頭の精神を自ら発揮して渡名喜守定参謀長と共に匪賊討伐に当る。
戦後は中華民国上海戦犯裁判所でB級戦犯に指名され苦渋の数年間を送った。
生誕 |
1889年(明治22年)11月1日 日本、熊本県 |
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死没 | 1980年(昭和55年)3月26日 |
所属組織 | 日本海軍 |
軍歴 | 1911年(明治44年) – 1946年(昭和21年) |
最終階級 | 海軍中将 |
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