稲尾和久

稲尾和久

日本プロ野球史に残る名投手。選手としては生涯西鉄ライオンズ。
異名「鉄腕稲尾」のとおり、1953年の巨人日本シリーズでの全7戦中6試合登板、1957-59年に記録した3年連続30勝(57-58年は史上初の2年連絡MVP)、1961年にはシーズン最多タイ記録となる42勝をあげるなど、無類のタフネスで数々の偉大な記録を打ち立てる。
日本シリーズの7戦中6試合登板し優勝に多大な貢献をした稲尾を讃えた記事「神様、仏様、稲尾様」は、その偉大さを示すあまりにも有名な言葉である。

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