稲村三伯

稲村三伯

江戸時代後期の蘭学者、蘭方医。幼名は龍介、名は箭、字は白羽、号は原昆堂、白髪書生。江戸時代を代表する蘭学者・大槻玄沢の弟子で、橋本宗吉、宇田川玄真、山村才助とともに「芝蘭堂の四天王」と呼ばれた。鳥取藩の町医・松井如水の子として生まれ、のち藩医・稲村三杏の養子となった。藩校「尚徳館」で学び、福岡の儒学者・亀井南冥から医学と儒学を、さらに長崎で蘭学を学んだ。その後、江戸の大槻玄沢の私塾「芝蘭堂」に入門し蘭学修行に励んだ。当時、蘭和辞典がなく、これを憂いた三伯は蘭和辞典編纂を決意、長崎のオランダ通詞・石井恒右衛門や同門の宇田川玄真、桂川甫周らの協力により、ついに1796年(寛政8)、日本初の蘭和辞典となる『ハルマ和解(わげ)』を完成させた。晩年は京で私塾を開き弟子の育成に尽力、畿内における蘭学隆盛の基盤を築いた。墓所は京都市左京区にある大恩寺。

反応