稲葉正休

稲葉正休

江戸時代前期の旗本、大名。美濃国青野藩の藩主。春日局の子・稲葉正勝の甥にあたる。父・稲葉正吉の死後、その遺領である美濃国青野5000石を継いだ。小姓組番頭、書院番頭、近習を経て若年寄に出世、加増され大名に列するなど順調に出世街道を進んでいた。しかし、1684年(貞享元年)、江戸城において大老・堀田正俊を刺殺するにおよぶ。正休もその場にいた老中・大久保忠朝らに斬殺された。堀田正俊を暗殺した理由については諸説あるが不明。事件により稲葉家は改易処分となった。大老・堀田正俊は傲慢な性格で権勢をほしいままにしていたため、正休に同情する声が多かったといわれる。

反応