築山殿

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本名は瀬名。別名を鶴姫、築山御前、駿河御前とも。
徳川家康の正室で、松平信康や亀姫を産んだ。築山殿は室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く名家の姫で、今川義元の姪である。
家康と結婚したのは1557年のことで、当時、家康は今川家の人質であった。1560年の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長によって討たれると、家康の人質生活も終わり、故郷・岡崎へ戻ることになった。だが、今川義元の姪である築山殿は家康の母・於大の方の命令により岡崎城へ入ることを許されず、1570年に岡崎城入りが許されるまで城外で幽閉同然の生活を余儀なくされたという。築山殿は長男・信康の正室・徳姫(織田信長の長女)ともそりが合わず、ついに1579年、徳姫が父である信長に対し、信康と築山殿の悪事と武田家への内通などを書き連ねた訴状を送るに至った。これを受け織田信長は徳川家康に築山殿・信康母子の処刑を命令。
苦悩の末、家康は2人の処刑を決め、築山殿は1579年9月19日に家康の家臣によって殺害、信康は9月15日に切腹した。

反応