細谷四方洋
![細谷四方洋 細谷四方洋](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/a-main-img/defoult-avatar1.jpg)
トヨタ純血ワークスチームだった「チーム・トヨタ」[注 1]のキャプテンを務めた。
父親は警察官だったが広島市で原爆に遭い殉職したという。
広島県立尾道商業卒業。1963年に開催された第1回日本グランプリのC-IIクラス(400〜700cc)に、完全ノーマルのトヨタ・パブリカ700でプライベーター(個人)として出場し3位[注 2]。
その技術を見込まれ1964年、トヨタのワークスドライバーになる。当時のトヨタは、開発を行うトヨタ自工と販売を行うトヨタ自販が別々だったが(後に合併)、細谷はプロとしてトヨタ自工と契約し技術部に所属[注 3]。トヨタ・2000GT開発ではボデーライン設計や走行テストを担当した。同年の第2回日本グランプリT-IIクラスでパブリカに乗り2位。
反応