菅原義正

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日本レーシングマネージメント株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。

1965年10月のモーターファン・コンバインドラリーにホンダ・S600でモータースポーツデビュー。昭和40年代は主に国内レースで活躍し、1965年~1981年の17年間で国内59レースに参戦。1969年にレーサーのマネージメント業務を行う日本レーシングマネージメントを設立。1977年にはホンダ・アクティ3台とアコード1台でカラチ~リスボン間(20,000km/14カ国通過)を走破。1982年にはスズキ・ジムニー1000でサハラ砂漠(アルジェ~アビジャン間5,000km/5カ国)を横断。1983年からはダカール・ラリーに毎年参戦。以降、ファラオラリー、パリ・モスクワ・北京ラリー、ラリーレイド・モンゴル等の海外ラリーレイドに出場するとともに、国内でもツールドブルーアイランド・ラリー(通称TBI)や北海道4デイズ等のラリーレイドに精力的に出場している。

ダカール・ラリーには1983年の第5回大会から連続で出場しており、日本人で唯一モト(オートバイ)・オート(乗用車)・カミオン(トラック)3部門で出場した経歴を持つ。また1989年の第11回大会から2009年の第31回大会までダカール・ラリー連続完走を達成している。2005年の第27回ダカール・ラリーからは次男の菅原照仁とともに日野・レンジャー2台体制で出場。日本人初の親子ダカール・ラリードライバーとなった。2007年の第29回ダカール・ラリーで主催者のASOより25回連続出場の表彰を受ける。ダカール・ラリーのカミオン部門において、中型車ベースの車両ながらも大型車のモンスターカミオンと熾烈な戦いを繰り広げる菅原のレンジャーは、「リトルモンスター」の名称で恐れられている。レンジャーに取り付けられた鯉のぼりは菅原のトレードマークとして有名である。

2008年1月ギネス・ワールド・レコーズにダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者として認定される。

反応