菊池武夫 (陸軍軍人)
菊池 武夫(きくち たけお、1875年(明治8年)7月23日 – 1955年(昭和30年)12月1日)は、日本の陸軍軍人、政治家。貴族院議員(男爵議員)。陸軍中将功四級男爵。熊本県菊池郡出身。
足利尊氏再評価への糾弾や天皇機関説糾弾などで、国体明徴運動の先鋒的人物として知られる。
菊池氏は中世以来の肥後国の名族で、南北朝時代は南朝に属した。菊池氏(米良氏)は明治になって他の南朝功臣の子孫と並んで華族に列せられた。父は旧米良領主の男爵菊池武臣。武夫の次男武親は陸軍に進み、少佐(陸士53)まで昇進した。
菊池武夫(『昭和二万日の全記録4』より)
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生誕 |
1875年7月23日 熊本県菊池郡 |
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死没 | 1955年12月1日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896 – 1927 |
最終階級 | 陸軍中将 |
除隊後 | 貴族院議員 |
反応