落合鼎五
落合 鼎五(おちあい ていご、1893年(明治26年)3月11日 – 1953年(昭和28年)10月20日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
宮崎県出身。1914年(大正3年)陸軍士官学校第26期卒業、陸軍歩兵少尉に任官。のち1922年(大正11年)陸軍大学校に入校し、1925年(大正14年)同校第37期卒業。
1938年(昭和13年)陸軍歩兵大佐・河南省特務機関長を経て、1939年(昭和14年)3月25日に歩兵第217連隊長となり、支那事変では南昌に駐屯し、錦江作戦などで奮闘した。ついで北支那方面軍司令部附となった。
大東亜戦争に突入すると第11軍司令部附・漢口特務機関長から第101警備司令官に転じた。その間、1941年(昭和16年)8月25日に陸軍少将、1944年(昭和19年)6月19日に第1独立守備隊長を補任された。
その後、1945年(昭和20年)4月30日に陸軍中将に昇進。さらに同年5月5日に陸軍歩兵学校附となり、翌月の6月1日に第225師団長(第2総軍、第15方面軍)を任ぜられ、兵庫県龍野に防衛陣地を構築中に終戦を迎えた。
生誕 |
1893年3月11日 日本 宮崎県 |
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死没 | 1953年10月20日(60歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 – 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
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