葛西晴信

葛西晴信

葛西氏17代当主で陸奥国登米郡寺池城主。
初名は信清。おもな官位は左京大夫。生没年は諸説ある。
葛西晴胤の子で兄がいたが、兄が病没したため家督を相続した。隣接する大崎氏とたびたび交戦し対立を繰り返していたため、晴信は伊達政宗と同盟を組んだり、天下人となった織田信長に謁見したりと所領安堵のためさまざまな手を打った。だが、その後も大崎氏との抗争は続く。
そんななか1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が始まる。だが、大崎氏との抗争のさなかにあり、さらに家中にも問題を抱えていた葛西晴信は領地から離れることができず参陣することはかなわなかった。結果、秀吉から所領を没収され葛西氏は滅亡することになってしまった。
その後晴信がどのような人生を歩んだのかは諸説あり定かではない。

反応