藤原銀次郎

藤原銀次郎│無料動画│showa 00399 m

経営危機にあった王子製紙を再建し日本一の製紙会社にまで育て上げ「製紙王」の異名をとった実業家。貴族院議員の政治家としても活躍し、米内光政内閣では商工大臣を、東条英機内閣では国務大臣を、小磯國昭内閣では軍需大臣を務めた。慶應義塾大学を卒業後、松江日報に入社、その後、三井銀行に入社し頭角を現し、1897年、三井が経営する富岡製糸場の支配人となった。さらに三井物産に移ると、上海支店長、木材部長などを経て、1911年に王子製紙の専務に就任した。当時の王子製紙は経営不振にあえいでいたが、藤原は経営改革に着手し王子製紙再建に成功、業界内の熾烈な競争を勝ち抜き1933年には富士製紙、樺太工業を合併吸収、国内シェア80%を超える巨大企業へと王子製紙を生まれ変わらせた。1938年に社長職を辞任し会長となると、私財800万円を投じて横浜に藤原工業大学(のちの慶應義塾大学工学部)を設立、人材育成に力を注いだ。戦前の財界を代表する篤志家として知られ、数多くの大学や工業学校に多額の寄付を行ったほか、森林保護・植林活動にも熱心であった。藤原が残した「愉快に働く法10カ条」は有名。

反応