藤堂平助

藤堂平助

新選組八番組組長。近藤勇・土方歳三・沖田総司らとともに道場・試衛館の生え抜きであり、新選組結成メンバーである。
池田屋事件で、20数名の敵に対し当初僅か4名で乗り込んだうちの一人。残りは近藤・沖田・永倉。
沖田総司、永倉新八、斎藤一とともに近藤四天王とも称されるなど、中心メンバーとして活躍していたが、思想の違いから伊東甲子太郎とともに1867年3月新選組を離脱。御陵衛士(高台寺党)を結成。
1867年11月、元同志の新選組に急襲された「油小路事件」により死去。

反応