藤子・F・不二雄

藤子・F・不二雄│無料動画│showa 00160 m

『ドラえもん』『パーマン』『キテレツ大百科』『オバケのQ太郎』など数多くの漫画を生み出した国民的漫画家。本名は藤本弘。トレードマークはベレー帽とパイプ。ちなみにこのベレー帽は相棒として活動していた藤子・A・不二雄(安孫子素雄)から譲られたもの。『ドラえもん』をはじめ子供たちに向けたハッピーエンドのストーリーが多い。また、「すこし不思議」を意味する「SF」短編漫画も多く描いた。早くから漫画家を志し、国民学校時代に安孫子素雄(のちの藤子・A・不二雄)と出会い意気投合したことから2人で漫画を描き始めた。そして、1951年、安孫子との連名作品『天使の玉ちゃん』で17歳にして商業デビュー。その後、一時、製菓会社で働いていたがすぐに退社、それから2年後には安孫子を強引に連れて上京しトキワ荘に入居、「藤子不二雄」のペンネームでプロとして活動を開始した。1964年、『週刊少年サンデー』に『オバケのQ太郎』の連載がスタートすると翌年にはアニメ化され、一気に大人気漫画となった。さらに1969年には小学館の学年別学習雑誌にて『ドラえもん』の連載もスタート、こちらも爆発的人気を博し、何度もアニメ化され、1980年公開の映画作品『のび太の恐竜』以来、毎年映画作品も公開されさらに人気に拍車をかけた。1988年、安孫子とのコンビを解消し、それぞれ藤子・F・不二雄、藤子・A・不二雄として活動するようになった。その後も子供たちのために漫画執筆に専念していたが、1996年、自宅の仕事部屋で『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』を執筆中に意識を失い、同年9月23日、肝不全のため他界した。尊敬してやまなかった手塚治虫と同じく、漫画執筆に捧げた生涯だった。

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