藤田信雄
藤田 信雄(ふじた のぶお)は、帝国海軍の軍人。最終階級は飛行兵曹長(終戦による特進後の最終階級は特務士官たる中尉)。帝国海軍の伊号第二五潜水艦(伊25)から零式小型水上機を飛ばし、史上唯一アメリカ合衆国本土に対して航空機による爆撃を実施するという、後にルックアウト空襲とよばれる爆撃を敢行した軍人である。彼の任務は、太平洋戦争における太平洋戦域のアメリカ海軍の資源を奪い去るため、焼夷弾を使用してオレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に大規模な山火事を発生させるというものだった。この戦略は日本の風船爆弾作戦にも採用された。
藤田は1932年(昭和7年)に日本帝国海軍に入隊し、1933年(昭和8年)にパイロットとなった。
生誕 | 1911年〈明治44年〉10月 |
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死没 | 1997年〈平成9年〉9月30日(満85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1932年 – 1945年 |
最終階級 | 中尉 |
除隊後 | ブルッキングズ市名誉市民・非公式大使 |
反応