衆樹資宏
衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 – 1999年6月25日)は、神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手)。
湘南高校では2年生の時、エースとして1951年春の選抜に出場。1回戦で長崎西高に0-1で惜敗。1年上のチームメートに遊撃手の佐々木信也がいた。翌年夏の甲子園県予選でもエース、四番打者として決勝に進出するが、小坂佳隆らのいた法政二高に敗退。
卒業後は慶應義塾大学に入学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは、1955年春季リーグで戦後初の三冠王となる。同年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出された。1956年度には主将を務め、同年秋季リーグでは1年下のエース林薫、2年生左腕の巽一を擁し4年ぶりの優勝を飾る。同季はシーズン最多タイとなる5本の三塁打(現在まで水原茂ら7人が記録)を放つ。リーグ通算75試合に出場し、252打数66安打、3本塁打、44打点、打率.262。ベストナイン(外野手)2回選出。大学同期に日野美澄、後にチームメートとなる中田昌宏がいる。
1957年、毎日オリオンズに入団。1年目から六番打者、中堅手の定位置を得て、規定打席(26位、打率.221)にも達する。しかしその後は打撃面で伸びず、1959年には田宮謙次郎の加入もあってレギュラーの地位を失う。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県藤沢市 |
生年月日 | 1934年4月19日 |
没年月日 | 1999年6月25日(65歳没) |
身長 体重 |
174 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1957年 |
初出場 | 1957年3月30日 |
最終出場 | 1967年7月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
|
反応