谷本馬太郎

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谷本 馬太郎(たにもと うまたろう、1889年(明治19年)4月20日 – 1942年(昭和17年)11月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。

広島県福山市出身。旧制広島県立福山誠之館中学校より海軍兵学校第35期入校。海軍兵学校入校時成績順位は183名中第82名、卒業時成績順位は172名中第37位。

第1次上海事変の際に、第3戦隊旗艦の軽巡洋艦「由良」艦長として参戦したが、上官の堀悌吉第3戦隊司令官の命令を忠実に守り、攻撃対象を中国軍関係に対してのみ限定させ中国国民への被害を最小限度に止めた為に作戦終了後、攻撃が手緩いとの批判が相次いだが、谷本は報告書の中で『堀司令官ノ判断処置ニ鑑ミ一点ノ非アラザル事明白ニシテ現地ニ於ケル事当ラザリシ者ガ非難スルハ司令官ヲ陥シ入レントスル意図明白ナリ』と憤懣やるかたなき状況を伝えている。

谷本は佐世保鎮守府司令長官在任中に病を得て現役のまま病没した。

生誕 1889年(明治19年)4月20日
日本、広島県
死没 1942年(昭和17年)11月11日
所属組織 日本海軍
軍歴 1908年(明治41年) – 1942年(昭和17年)
最終階級 海軍中将
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