豊田貞次郎
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 – 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。
和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。海兵33期首席。
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生年月日 | 1885年8月7日 |
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出生地 | 日本 和歌山県 |
没年月日 | 1961年11月21日(76歳没) |
出身校 |
海軍大学校 オックスフォード大学 |
称号 |
海軍大将 従二位 勲一等旭日桐花大綬章 |
商工大臣
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内閣 | 第2次近衛内閣 |
在任期間 | 1941年4月4日 – 1941年7月18日 |
外務大臣
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内閣 | 第3次近衛内閣 |
在任期間 | 1941年7月18日 – 1941年10月18日 |
拓務大臣
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内閣 | 第3次近衛内閣 |
在任期間 | 1941年7月18日 – 1941年10月18日 |
運輸通信大臣
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内閣 | 鈴木貫太郎内閣 |
在任期間 | 1945年4月7日 – 1945年4月11日 |
軍需大臣
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内閣 | 鈴木貫太郎内閣 |
在任期間 | 1945年4月7日 – 1945年8月17日 |
反応