近衛信尋
江戸時代前期の公家。父は後陽成天皇で第四皇子として生まれた。幼称は二宮、法号は応山(おうざん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と謳われた養父・近衛信尹(のぶただ)に書を学び、能書家として知られた。諸芸に優れ、茶道は古田織部に学び、連歌もたくみで、実兄の後水尾天皇を中心とした「寛永文化」の担い手として活躍した。また、六条柳町(のちの島原)の名妓・吉野太夫を巡って豪商・灰屋紹益と争い、身請けできず失恋した逸話は有名。
江戸時代前期の公家。父は後陽成天皇で第四皇子として生まれた。幼称は二宮、法号は応山(おうざん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と謳われた養父・近衛信尹(のぶただ)に書を学び、能書家として知られた。諸芸に優れ、茶道は古田織部に学び、連歌もたくみで、実兄の後水尾天皇を中心とした「寛永文化」の担い手として活躍した。また、六条柳町(のちの島原)の名妓・吉野太夫を巡って豪商・灰屋紹益と争い、身請けできず失恋した逸話は有名。
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