遠藤兵内

遠藤兵内

江戸時代中期の農民。百姓一揆「伝馬騒動」のリーダーで後世“義民”とされた。通称は関村兵内。武蔵国児玉郡関村(現・埼玉県児玉郡美里町)の農民の子として生まれ、学問を地元の住職に学び、村のリーダー的存在へと成長、名主となった。1764年(明和元)に「伝馬騒動」が勃発すると指導者となり、幕府に要求を飲ませた。しかし、一揆の首謀者として獄門にかけられ一揆勢20万人のうち唯ひとり死罪となった。兵内の首が3日間さらされたという志戸川の河原には慰霊碑が建つ。また、埼玉県児玉郡美里町にある児玉神社には供養塔がある。

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