遠藤幸男
遠藤 幸男(えんどう さちお, 1915年9月9日 – 1945年1月14日)は大日本帝国海軍の軍人、最終階級は中佐(没後進級)。
海軍飛行予科練習生(予科練)の第1期生として日本海軍に入り、海軍航空の道を歩む。太平洋戦争では、前期から中期にかけては当初は遠距離戦闘機として開発された「月光」の開発と改修に参加し、ラバウルに進出後は「月光」を駆使して迎撃戦に活躍。日本本土に帰還後は第三〇二海軍航空隊に所属し、日本本土空襲で来襲するB-29迎撃で奮闘したが、名古屋空襲の迎撃戦で戦死した。B-29撃墜破数16機[注釈 1](うち撃墜は公認8機[注釈 2])を記録して「B-29撃墜王」と呼ばれて国民的英雄となった[10]。予科練出身で中佐まで進級した唯一の人物でもある[11]。
夜間戦闘機「月光」の前を歩く遠藤(前列左)と西尾治上飛曹(前列右)
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渾名 | B-29撃墜王 |
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生誕 |
1915年9月9日 大日本帝国 山形県東村山郡山辺町 |
死没 |
大日本帝国 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市) |
1945年1月14日(29歳没)
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1930- 1945 |
最終階級 |
海軍中佐(没後進級) リスト
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反応