郭攸之演長かくゆうしえんちょう

郭攸之演長かくゆうしえんちょう

郭攸之、字を演長といい、荊州南陽郡の人である。223年、劉禅が即位すると長水校尉に任命された。224年、費禕・董允と共に、黄門侍郎に任命された。227年、諸葛亮の出師の表で、費禕・董允らと同列にその名を挙げて上奏した。出師の表では、「素直で真心があり(「良実」)、志は純粋である(「志慮忠純」)とし、損益を斟酌して忠言を尽くすのはこの3人である」として諸葛亮は評価している。しかし、侍中の廖立は「中郎の郭演長は人に付き従うのみの男で、大事を謀るには能力が不足しているくせに、侍中になっている」と酷評している。郭攸之は穏やかで素直な性格であるがゆえに、侍中の官位に留まるのみであった。そのため、劉禅に忠言を奉る役割は全て董允が担った。劉備時代の事跡が一切不明であるが、費禕、董允らとともに抜擢された人物である。『三国志演義』でも出師の表で名が登場するだけである。

反応