郷原洋行

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郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 – )は鹿児島県鹿屋市出身の元騎手・元調教師。

元騎手の郷原洋司は実子。吉野勇は岳父。

実家は農家。五人兄弟の次男として生まれ、父親に育てられた。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しみ、中学時代はマラソンを好きになったこともあったが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て、東京へ出たい一心で騎手を志す。中学卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、修了後の1961年より騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門。1962年3月に騎手デビュー。同期には中島啓之、榎屋忍、中神輝一郎がいる。初年度は8勝であったが、2年目の1963年には31勝と躍進。3年目の1964年に38勝を挙げて全国9位に入り、初めてベストテンにランクイン。同年の京王杯SHではクリライトに騎乗し、保田隆芳・高松三太・古山良司らベテランとの競り合いの末、4着まで同タイムの激戦を制して重賞初勝利。1967年は79勝を挙げて初の関東リーディングに輝き、リュウズキで皐月賞を制して八大競走を初制覇。1968年には自己最多の85勝を挙げるなど順調に活躍していたが、1971年に右足に痛風を患う。痛みに耐えかねて一時は引退も考えたが、懇意であった馬主の栗林友二に説得されて翻意し、体質改善により痛風を克服。その後は復調して1974年~1975年、1978年と3度の関東リーディングを獲得。この間にイチフジイサミで1975年に天皇賞 (春)、プレストウコウで1977年の菊花賞を制覇。1976年には1月24日に香港・ハッピーバレー競馬場で行われた国際騎手招待競走「インターナショナルインビテーションカップ」に参戦したが、騎手招待杯(1800m)は9着、騎手招待プレート(1235m・11頭立て)は7着と2戦とも勝つことはおろか掲示板にも入れなかった。1979年には1月15日に史上5人目となる通算1000勝を達成し、カシュウチカラ・スリージャイアンツで春秋の天皇賞を制覇。同年は64勝で初の全国リーディングを獲得し、1980年にはオペックホースで日本ダービーを制し、ダービージョッキーおよび三冠騎手となる。メジロファントムを斥けた天皇賞(秋)や大本命馬のモンテプリンスを破ったダービーは、共に長い追い比べの末、相手をねじ伏せるように先着したものであった。その後は1983年の全国8位を最後にランキング上位からは遠ざかるようになったが、1987年~1988年にはニッポーテイオーとのコンビで安田記念・天皇賞(秋)・マイルCSを制覇、1989年にはウィナーズサークルで2度目のダービー制覇を果たしている。1988年より日本騎手クラブの会長に選出され、引退まで5年間を務めた。1991年12月8日に史上4人目となる通算1500勝を達成し、1992年1月に日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞。1993年2月28日をもって騎手を引退。通算1515勝は史上第4位の記録(当時)であった。

騎手引退3日後に調教師免許を取得し、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業。長らく目立った活躍がなかったが、1999年にゴーカイが東京オータムジャンプを制して重賞初勝利を挙げると、2000年には同馬が中山グランドジャンプを制して障害競走ながらGI初制覇を果たした。2001年には連覇を果たした。晩年にはゴーカイ産駒のオープンガーデンでも中山GJ2着などの成績を残した。2011年2月10日、2月28日をもって定年を3年残して調教師を引退することがJRAより発表された。引退に際してはゴーカイとその産駒に対して「助けられ、励まされ、楽しませてもらいました」とのコメントを残した

基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県鹿屋市
生年月日 (1944-01-21) 1944年1月21日(75歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 大久保房松(1961年4月 – 1974年5月)
佐々木猛(1974年5月 – 6月)
大久保房松(1974年6月 – 1987年2月)
フリー(1987年3月 – 引退)
初免許年 1962年
騎手引退日 1993年
重賞勝利 83勝
G1級勝利 10勝
通算勝利 11906戦1515勝
調教師情報
初免許年 1993年
調教師引退日 2011年2月28日
重賞勝利 4勝
G1級勝利 2勝
経歴
所属 美浦トレーニングセンター
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