醍醐忠重

醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 – 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵。後陽成天皇の男系九世子孫である。

1891年10月15日に、東京市麹町区元園町で公卿華族「清華家」の醍醐侯爵家の嫡子として生まれる。父・醍醐忠敬は戊辰戦争において奥羽鎮撫副総督を務めたが、1899年に家督相続に絡む怨恨によって甥(忠敬の兄忠告の子)の格太郎に射殺された。この事件が大スキャンダルに発展してしまい、これが原因で醍醐家は没落、忠重は公卿摂家の一条家に引き取られて養育された。賀陽宮恒憲王は忠重の従兄弟にあたる。

生誕 (1891-10-15) 1891年10月15日
日本 東京市麹町区(現・千代田区)
死没

(1947-12-06) 1947年12月6日(56歳没)
オランダ領東インド

ポンティアナック監獄

所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1909年 – 1945年
最終階級 海軍中将
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