鍋島勝茂

鍋島勝茂

江戸時代初期の大名、肥前国佐賀藩の初代藩主。幼名は伊勢松、通称は伊平太。官位は従五位下信濃守、従四位下侍従。戦国武将・鍋島直茂の子として肥前国佐賀に生まれ、関ヶ原の戦い(1600)では豊臣方の西軍に加わったが徳川家康方の東軍に寝返り、戦後は本領安堵を認められた。佐賀藩はもともと鍋島氏の主君だった龍造寺家が治めていたが、龍造寺家が断絶したことにより勝茂が跡を継いで佐賀藩の初代藩主となり佐賀藩の基礎を固めた。この龍造寺家から鍋島家への政権交代は勝茂の尽力により比較的スムーズに行われたが、のち“化け猫伝説”で知られる御家騒動「鍋島騒動」として歌舞伎や講談などで脚色され、勝茂は「御家を乗っとった悪役」として描かれた。1637年(寛永14)に勃発した「島原の乱」では、家臣が総攻撃の期日をやぶり一番乗りを果たそうと抜け駆けしたことが軍律違反とされ幕府に処罰され、蟄居を命じられるなどした(一説には勝茂自身が抜け駆けしたとも)。墓所は佐賀県佐賀市にある高伝寺。

反応