長連龍

長連龍

幼名は萬松。仮名は九郎左衛門。僧名は宗先。別名は好連。
長連龍は、能登守護畠山氏の重臣・長続連の子として誕生した。1577年、上杉謙信の能登侵攻により畠山氏の居城・七尾城は包囲される。さらに城内では遊佐続光、温井景隆らが謙信に内応、それにより連龍の父・続連や兄・綱連など長一族は殺害されてしまった。
唯一生き残った連龍は織田信長らと結び仇敵である遊佐らに対抗し戦を繰り返し、ついに遊佐、温井を討ち一族の恨みを晴らした。1581年に能登が前田利家に与えられるとその与力になり、数々の戦いで武功をあげ利家からあつく信頼された。1606年、連龍は家督を長男・好連に譲り隠退したが、好連が若死にしてしまったため次男・連頼の後見役として再び表舞台に戻った。
長連龍の子孫は加賀藩老八家のひとつとなり3万3000石を拝領した。

反応