関平かんぺい

関平かんぺい

関平といい、関羽の実子とされる。弟に関興らがいる。219年、荊州の孫権軍に囲まれ、関羽と共に血路を開こうと駆け抜けたところ、伏兵に遭い捕縛された。即座に首を討たれた。『正史』には、関羽伝にその名が登場しているが、詳細は謎である。『三国志演義』では、河北の住人である関定の次男として登場する。兄は関寧となっている。曹操に徐州を追われ、散り散りになった劉備ら三兄弟の再会の場所として、関定の屋敷が登場する。その際、関定が関平を随行させてほしいと頼み込んだため、劉備のとりなしで子がいない関羽の養子となる。劉備の養子劉封と行動をともにする場面が多く、新野に夏侯惇が攻めて来た際や、益州の地を取りに行くと称し劉備を殺そうとした周瑜を防いだ際、また益州攻略戦への従軍などで描かれている。益州攻略戦において龐統が戦死したため、諸葛亮たち荊州守備勢の助けを得るため使者として向かい、そのまま関羽と共に荊州に留まる。その後、関羽に従い襄陽攻めなどで活躍するが、呂蒙に攻められ関羽と共に首を斬られている。銭静方『小説叢考』では、清代に発見された関羽の墓碑なるものを根拠に、関平を関羽の実子とし、光和元年(178年3月以降)に生まれたとしている。清代の『江陵県志』によると、関平は趙雲の娘趙氏を娶ったという。 関平と趙氏の子は関樾(木偏に越)という名で、江陵に住んでいたとある。なお、関平の字は史実・『演義』において記されていないが、民間伝承では字が「坦之」(たんし)であると伝えられている。京劇古典剧目の『走麦城』でも「関坦之」と表記される。2010年の中国のドラマ『三国志 Three Kingdoms』では「定国」と設定されている。『三国志演義』での描写により、関帝(関羽)を祭った関帝廟の随神として周倉と共に祭られている。右側に立っているのが関平帝君(関平)である。なお関平死後、義弟として関興の他に関索が登場する。

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