関本大介

関本大介│無料動画│200px daisuke sekimoto

関本 大介(せきもと だいすけ、1981年2月9日 – )は、日本のプロレスラー。大日本プロレス所属。

鍛え上げられた肉体が特徴で、その肉体自体が「凶器」と自称している。その分厚い筋肉は全盛期のディック・ザ・ブルーザーを彷彿とさせる。

父は関本自身が「絶対君主」と評するほど厳格な存在であり、父に課せられたトレーニングであった足上げ腹筋の際に足を下ろさないようにライターを構えられたことがある。しかし本人はそれを虐待とは思っておらず、むしろ「でも結局ライターの火なんて、落ちたら風圧で消えますよね。火も弱いし、風でなびくから、親父のほうが「熱い」ってなって(笑)。それが面白くて、でも笑ったら怒られるから、こらえていたら逆に腹筋が鍛えられるっていう。意味の分からない鍛え方をしてましたね」と後に週刊誌のインタビューで振り返っている。父に対しても恨みなどは全く抱いておらず、むしろ「感謝しかない。今は仲が良いですし、ほんとに感謝しかないです」と、父が厳しくしていたからこそ辛いことがあっても耐えられるようになったと言っている。幼い頃からプロレスへの憧れはあったものの、野球好きだった父親の影響で中学・高校と明徳義塾に通い、野球部に所属。「大介」の名も荒木大輔にちなむ。ポジションは一塁手で、中学時代には4番も打った

中学時代の終わりに、大阪府立体育会館で行われた全日本プロレスのチャンピオン・カーニバル公式戦、小橋建太対スタン・ハンセンの試合を観戦したことをきっかけに、はっきりとプロレスラーを志すようになる。高校進学すると全国から有望な選手が集まり(同級生に寺本四郎・高橋一正がいる)、本人曰く「四軍まである中で文句無しの四軍」になってしまう。しかし、控えゆえ監督・コーチの目が届きにくいことを逆手に、野球の練習ではなく筋トレに終始。3年間プロレスラーとしての素養を磨く。当時監督の馬淵史郎によれば、「打球の速さは寺本より上」だったという。当時相撲部の留学生として明徳に在籍していた、後の横綱・朝青龍(同い年、関本が一学年上)とウェイトトレーニングで張り合い、腕相撲では勝利したというエピソードもある

プロフィール
リングネーム 関本 大介
本名 関本 大介
ニックネーム マッスルモンスター
肉体凶器
怪力無双
身長 175cm
体重 120kg
誕生日 (1981-02-09) 1981年2月9日(38歳)
出身地 大阪府大阪市鶴見区
所属 大日本プロレス
スポーツ歴 野球
トレーナー 本間朋晃
山川竜司
デビュー 1999年8月10日
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