阿部定

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日本を騒然とさせた猟奇殺人事件「阿部定事件」の犯人、芸妓。江戸時代から続く畳店の末娘として生まれ、近所でも評判の美少女として育った。しかしその後、家庭内の問題などからしだいに不良少女となり、17歳の時、芸妓となった。やがて娼婦に身を落とし各地を転転とする生活を送ったのち、東京・中野の料亭「吉田屋」で「田中加代」の偽名を使って女中として働くようになる。吉田屋の主人・石田吉蔵とやがて愛人関係になった阿部定は、1936年5月18日、東京市荒川区の待合で石田を扼殺し、その局部を切り取り、石田のシャツやステテコとともに持ち去った。阿部定は石田の血でシーツに「定、石田の吉二人キリ」と書き、さらに石田の左腕に「定」の文字を刻んだ。この猟奇的な事件は報道されるやいなや世間を騒然とさせ、「阿部定パニック」と呼ばれる騒動となった。犯人である阿部定は逃走していたが、事件の2日後に逮捕された。1941年、恩赦により出所。その後、「吉井昌子」という名で生活していたが、阿部定であるという事実を隠し続けることはできなかった。芸者やホステス、仲居などをしたのち、おにぎり屋「若竹」を経営、しかし、1970年3月、忽然と姿を消し消息を絶った。生死は今なお不明。愛に生きた阿部定の生き方は多くの作家を魅了し、織田作之助は「阿部定事件」を基に小説『妖婦』を執筆、坂口安吾は雑誌『座談』で阿部定本人と対談をしている。

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