韓嵩徳高かんすうとくこう

韓嵩徳高かんすうとくこう

韓嵩、字を徳高といい、荊州南陽郡の人である。曹操と袁紹が管渡で対峙している間、江漢一帯を保有しつつ、劉表は天下の形勢を見守っていた。この時、袁紹から救援の要請があり、劉表はいったん承諾を与えたが、依然として動かなかった。従事中郎韓嵩と別駕の劉先は、煮え切らない劉表に進言した。「曹・袁両雄が睨み合っている今、どちらに天下が傾くかは将軍の動き如何にかかっています。もし大事を成すお気持ちがあるのならば、二人の疲弊に乗じて起つべきですし、そうでなければ、服属する相手をお選びになるように。将軍が十万の兵を擁しながら、応援もせず和睦もせず、このままの状態をお続けになるならば、彼らの怨みは将軍に集中し、とても中立は守り通せません。」さらに加えて、「曹公はその明哲の故に、天下の賢俊はみな帰服し、その勢いからして必ず袁紹を滅ぼします。その後、兵を率いて江漢に向かえば、我らは拒ぎ切れません。将軍が州を挙げて曹公に帰服するのが万全の策でございます」と言った。謀臣蒯越も同じ意見で、帰服を勧めたが、劉表は狐疑逡巡して挙句、韓嵩を派遣して早々の実情を観察させた。劉表は天下がどうなるか知ろうとして、許に天子を奉じている曹操に、何か弱みがないか、韓崇に探ってくるよう命じたが、韓嵩は帰って来て深く曹操の威徳を述べ、子を人質として差し出すよう進言した。韓嵩は「今、臣として名を連ね、将軍を主君と仰いだ以上は、御命令のためには水火も辞めさない覚悟です。わたくしが思いますに、曹公は極めて英明で、必ずや天下を救済するに違いなく、将軍は上は天子に順い、下は曹公に気服されますならば、百代の後ろまでその福を享受出来ましょう」と言った上で、こう念を押した。「帰服するお気持ちで嵩を使者となされたのなら宜しいのですが、まだどうするか決めておられないならば、問題があります。嵩が都に出向き、天子の臣となり、嵩に一官をお与えになると、その時は天子の臣となり、嵩は将軍の故吏となります。『主君が在れば臣は主君の為の図る』という原則から、嵩は天子の臣として命令を奉じ、道理の上から考えて最早、将軍に命を捧げることは出来なくなります。どうかよく考えの上、私の気持ちを裏切らないようお願い致します」韓嵩の予想どおり、献帝は彼を侍中に任じ、零陵太守に昇進させた。劉表は「二心を抱いたか」と怒って斬り捨てようとした。韓嵩は「裏切ったのは将軍ではありませんか」と言い、先の発言を念押した。劉表の怒りは収まらなかったが、妻の蔡氏が「韓嵩は楚国の名門であり、またその言葉は率直で、処刑なさるだけの理由がありません」と取り成した。劉表は処刑しないかわり、韓嵩を拘禁した。208年、荊州を征した曹操は、韓嵩を大鴻臚に任じた。『演義』は韓嵩の助命を請うたのは蔡氏ではなく、蒯越の兄の蒯良だと変えてある。その後、曹操に仕えたあと何も記されていない。

反応